商業的写真表現技術講座(初級編)終わりの言葉
商業的写真表現技術とは?
概論
まず後ろから文節ごとに考察しましょう。
技術
千差万別に変化する状況に即応できる引き出しの事。
表現
自己の思想を他者に伝達すること。
写真
視覚的環境=3Dで動画を、平面=2Dで静止画に切り取ること。
商業的
不特定な他者が、一定の対価を支払うのに適した水準の物を、提供すること。
結論
誰もが素敵と思う写真を、いついかなる場合でも提供できる、引き出しを持つこと。
各論
ではそれぞれをもう一段深く掘り下げましょう。
技術
技術と言うと、一番初めに考えなければならないのは、安全です。
いかに事故の可能性をつぶしていくか?予備の機材は出来るだけ用意しなければならないし、レンズを保護するフィルター、フレアを阻止するフードは必携です。
もうひとつ、いやらしく聞こえるかもしれませんが、プロフェッショナルを名乗って技術を見せる場合、最も大事なことは、いかにアマチュアとの差別化を図るかです。
実はこの事は、昔の方がずっと楽でした。一般の人はよほど好きでもブロニーが限界。4の5や8×10を使う人なんかいる筈ないので、カメラ見せりゃそれで良かったのです。今はそうはいきません。5人に1人はデジタル一眼くらい持っています。
もちろん最重要なのはアガリですが、それだけではなく現場への対応を素早く涼しい顔で行う必要があり、素人が使いきれない機材の類を、当たり前のように使いこなす等の態度の事が大きくかかわると思います。
そのためには、膨大な知識を蓄える必要がありますし、反復練習を中心とする修練が大事です。
例えば、背景紙を用いたストロボセッティングを、タイムを計って繰り返すとかの練習は有効だと思います。
素人が使いきれない機材と言うと、望遠系で人物を撮って背景のボケ効果を活かすとか、逆に広角をうまく使って空間の広がりを見せるとかも好いですね。
レフも使いこなしている人は少ないですし、第一多灯ストロボ自体が一般の人には敷居が高いみたいです。
シフトレンズも、タッチライトなんかも、素人はびっくりです。
ただ、気をつけなければならないのは、現場であまりエフェクトをかけてしまうと、失敗した時に取り返しがつかないので、紗をかけるなどのフィルターエフェクトはなるべく後で画像処理した方がよいです。
これらの事を涼しい顔で、しかもかっこよくこなすために、ロケハンとリハーサルはできる限り行ってください。
ロケハンとは要するに下見の事です。
出来るだけ脳内に置いた被写体を、現場にはめ込みながらベストポジションを探し出し、当日の撮影計画を立ててください。もし無理でも、少なくとも脳内で、できる事は必ずしてください。出張先がどんな環境か、広さはどのくらいかくらいは、受注時に訊き出せるはずです。
リハーサルとは事前練習の事です。
ロケハンや想定で立てた撮影計画を、出来るだけ忠実に事前に練習してください。どうしても条件的に無理ならば、せめて脳内で反復してください。
最後に、カメラ技術の肝は、被写体の何を切りとるか?つまりフレーミングです。
表現
先も言ったように、撮影者の脳内にある思いや思想を、他者に伝達することです。
その行為に対する、他者側からの評価が、センスという言葉だと、言っていいと思います。
人はその作品に共感した時に「この写真センスいいなあ」って言うのだと思います。何故かというと、よほど厚顔な人でない限り、共感の意を表すのに「この写真正しいなあ」とは言えないので、ソフトにしようとするのだと思います。
ところが、非常にめんどうくさい事が有ります。
他人が、いくら共感してくれても、自分自身が全く共感できないケースです。
自分自身の脳内の思いが、全く作品に反映されているとは思えない場合があります。
その上に他人から「そうじゃないんだけどなあ」的な共感を示されると、何かもう、死にたくなります。このケースは実に多くて、多分逃れる事の出来ない「業」なのだと思います。
でもそこから少しでも抜けようと、僕らは精進するのだと思います。
写真
僕らを囲む全ての視覚的環境は立体です。つまり3Dです。状況は刻一刻と変化して、休むことが有りません。つまり動画です。
そうです。われらの世界は3D動画なのです。
対して、写真はと言うと、印画紙で見たりディスプレイで見たりする平面。つまり2Dです。写真は動きません。静止画です。
写真は瞬間を切りとり、平面に移し替える行為と言えます。
それを踏まえてかんがえると、写真を撮るという行為にとって重要なことは、何を?どう?どの瞬間で?という3つの項目に集約されると言って良いと思います。
商業的
これは今までの項目の中で、最もシンプルです。
概論で述べた「不特定な他者が、一定の対価を支払うのに適した水準の物を、提供すること」としか表現のしようが有りません。
「生きのいい魚を安価で扱う魚屋は人気がある」ということです。
しかし、シンプルな分、実践するのは実に難しい。
何故か?
写真にとって「生きのいい魚」ってなんだか判りにくいからです。
これを探るヒントは「客の望みを探ること」にしかないと、僕は思います。
たとえば、長寿の祝いの記念写真を撮りに来た老婦人がいらっしゃったとします。
彼女は「深く刻まれた皺に表れる自分史」を望んでいらっしゃるでしょうか?
いかに僕らが見て魅力的な皺だろうと、彼女はそれを望んでいないと思うべきです。
何故なら、彼女が女性だからです。
皺を強調して撮ることが許されるのは、多分R.アベドンくらいしかいません。
何故なら彼は「芸術家」だからです。僕らは「写真屋」です。
この時僕らがぶつかってしまうのは、「表現者としての意識」だと思いますが、これが乗り越えられないのは「ガキ」だからだと、思っていいでしょう。
何故ならば、冷静になりさえすれば、表現と商業は全く矛盾しないからです。
最終結論
出来うる限りの努力をして、代金に見合った以上の質の高い仕事をして、ガンガン儲けて、ドンドン商いを大きくして、人々の賞賛を一身に受けて、思いつく限り贅沢三昧しながら、慈悲溢れる心で社会にも還元して、偉そうに笑って天寿を全うすること。
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