良い写真とは何か? という問いに対する、万人が納得する答えは無かろう。
しかし、それでも言える事は、世の中には確かに、良い写真、と呼べるものが有る。という事だ。
何がその写真を良い写真としているのか。それは、その写真そのものから単純に導き出せるものではない。
昔、シマフクロウの捕食シーンを初めて撮影した写真家がいた。
その方は、用心深いその鳥の捕食シーンを撮影するために、考えられるありとあらゆる工夫をした。
彼女は、テントを張って、そこにしばらく生活した。鳥はそれを風景と思ってくれると考えたから。
風景であるからには、動物が出はいりしてはいけないという事で、一歩も外に出なかった。
トイレでさえ中でした。
匂いも鳥が見るところの風景になる為に、そのままにし、およそ人間的な生活というものは諦めた。
そのようにしてカメラを構え、じっと待ち続けたある日、見事目の前での捕食シーンを撮影する事に成功した。
それはストロボによる連続撮影で、学術的に大変価値が有り、かつ大変美しい写真だった。
今では同様の写真は数多く撮られており、彼女と同じくらい、いや、彼女の撮影した写真より絵としては美しいと言うことの出来る捕食シーンを撮らえた写真も数多くある。
という事は、彼女の払った努力と言うのは、後から見れば非効率で無駄が多かったと言える。
それでも、先の写真家が撮影した写真は変わらずに良い写真と言う事が出来ると思う。
つまり、良い写真と言うのはただその写真そのものだけでは評価できないし、そのように評価もされていないという事だ。
むしろ、写真と言うのは、いつどこで何がどのように撮られているか、その撮影の行為そのものの価値、そしてその写真家の人間性まで含めて語られるものなのだ。
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