写真を撮り慣れて来て、光の読み方も構図の定番も知り、いわゆる上手い感じの写真がとれるようになって来ると、その写真は却ってなんだかつまらないという事が有る。
写真の事は何も分からずにただパチリと子供を撮ったあの写真の良さは、どこへ行ってしまったのだろう?
これは恐らく、商業写真的な演出の弊害だ。
決して演出が全部悪いと言う訳では無いのだけど、でも演出が過剰になると、本来の良さが殺がれてしまう。
演出によっていわゆる上手い写真が作れても、そこからは素朴な良さ、意味深さ、諸元的な喜び、と言ったものが薄れてしまい、写真の持つ力強さが感じられなくなってしまう。
江戸時代、演劇が発展してきて、舞台での演出がどんどん派手になって来ると、しかし通はそういった演出を喜ばず、ケレンと呼んで一定の距離を置いた。
ケレンは、良し悪しという話では無くあくまで好みの問題なのだけれど、やはり一度気になりだすと鼻につく。
写真にケレンを盛り込まずそれを避ける工夫だけど、これは逆に意識して避けるしかない。
演出は体に沁み込んでしまうので、意識しないと自動的にいつもの写真になってしまう。
毒抜きに、物理的に撮り方を変えてみるのも良いと思う。例えばファインダーを覗かずに上から下から胸の高さから、と撮る、などなど工夫してみるのも良いかもしれない。
とはいえ、一度商業的な演出の写真を撮るようになると、なかなかその影響は無くならない。
故に心せよ。
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