写真における作品の文学性-その1 タイトルについて

 写真のタイトルと言うのは、写真の撮り方そのものにはあまり関係が無い。中にはタイトルを考えてから写真を撮れと言う人もいるようだけど、これも実効性は疑わしいと自分は思う。
(その方法で写真を撮ると、自分が写真を分かったような気になると言う効果だけが強く働くだろう。人は、特にカメラを持った人は、自分の目の前に広がる事象に対してもっと謙虚にならなくてはいけない)

 とはいえ、タイトルやキャプションは、写真を見る人に対して写真の見方を方向づけ、想像を膨らませる糸口になる。なので、単に撮影技術と言う話では無く、写真を作品として完成させる事を考える場合、それらを作品の一部として捉えるのは確かに重要だ。

 以前地元のギャラリーの展示を見ていた時にこういう物が有った。
 入り口から光が入る建物内で一人の女性が彼方を向いている引き気味のカット
 その写真のタイトルは「主婦」

 写真とそのタイトルが直接何を意味しているのかは、率直に言って分からない。でも、関連は有ったし、何より見る者の想像を喚起した。この工夫は、一枚の写真に文学性を持たせる、つまり、これは何かを表現している/自分は撮影者が表現するストーリーを見た、と言うような事を感じさせるのに成功しているように思えた。

 これが良い事なのか悪い事なのかは一概には言えない。作品の狙いにもよると思う。いずれにしても、タイトルがそれだけ見る者に力を及ぼしたという事だ。

 ここで挙げた話はもちろん、プリントされた写真自体が相応に興味深いと言うのが前提だ。ダメな写真に意味深なタイトルを付けているのを見ると、見る方もちと恥ずかしくなる。

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