これを意識すると写真らしい写真が撮れるという事

 平面化された時の輪郭が、写されている物自体を認識させるものとなるかどうか、撮影時にこれを意識出来ると、写真の撮影はずっと面白いものになるはずだ。


 風景にしても何にしても、目で見る映像の中には遠かったり近かったりするものが色々混ざっているし、そもそもそこにある物は大抵立体的な形をしているのに、我々はそれが平面に描写された絵や写真と言う物を見ても違和感を覚えない。これはよく考えてみると不思議な事だ。

 目(もしくは視覚と言うべきか)は自動的に、色々な処理をしている。例えば我々は何らかの形を見る時全く無意識に、そこに輪郭というものを描いてその形を認識している。大雑把に述べれば、我々は目に入ってくる光を一旦絵に描き変えてから見ているのだ。

 絵や写真も、実際の風景と同じく一旦その無意識の変換と認識機構を通して認識されている。なので、一度それが何がしか、海とか山とか空等と認識されてしまえば、以降、平面であってもそれと見られ違和感は覚えない。
 

 では、写っている物がすんなり何がしと分かる写真が良いかと言えば、それは必ずしもそうとは限らず、これは狙いによる。面白さを狙ってゆくならむしろ、認識の一瞬の混乱は、一つの表現手段と言えるかもしれない。

 例えば、花の写真を思い出してみる。
花を花と分かるように撮れば、正に花の写真だ。(これが悪いと言っている訳では無い) 
でも、表現方法はそればかりでは無く、形の全体が分からないマクロ撮影の写真、沢山の花をまとめて、被写界深度を調整して撮る引きの写真、色を抜いたモノクロ写真等、色々有ると思う。
それらは、見た一瞬、何だろうと思うかもしれない。そしてこの、分からないものから分かるもの変わるこの過程の中に、正に写真的な興奮が有るように思う。
 で、その分かる過程に関係するのが、先に述べた、物の、本当はあるわけでもない、人が脳の中で作る形の輪郭だ。

 写真を撮影しようとして物を見る際には、まず自分自身が自動的に作る認識の枠を外す。そして写真を見る人の自動処理を意識して意図的に再構成する。これを意識すると、写真は写真らしくなると思う。手段は、構図、光と影の意識、被写界深度等、まあ普通の方法。

 

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