写真は引き算と良く言われる。
昔某カメラのTVコマーシャルで篠山紀信が「写真ってのはいいと思ったら何にも考えずとにかくそれにぐっと近づいて撮れ」と言う意味の事を言っていたのを思い出す。写真における引き算とは、普通はそういう事を言うのだと思う。
つまり、簡単に言えば画角に対してそれを大きく撮るという事だ。
これは結構難しい。理由は写真を撮っていると主題だけでは無くその場の雰囲気も写真の中に収めたくなってしまうから。でもこれはもっと難しい。その場の雰囲気を撮るにはただ周りを沢山写し込むだけでは上手く行かない(事が多い)。
それで、撮る側はいきおい演出に走る事になる。
そしてこの写真における演出と言うのがどうも曲者で、演出過剰だと何だかそれが見え見えの写真になってしまう。
その点、「イイと思ったものにぐっと近づき撮る」 というのは、単に写すものの要素を減らすだけでは無く、写真として過剰な演出を減らすと言う方向でも引き算になっている。
所で、突き詰めて考えて行くと、何かをいいと思うとか、撮るに当たり演出をしない、というのも一種の評価であり演出だ。それさえもしない写真と言うのは有りうるのだろうか?
芸術としては有りうると思う。何もかも諦めきったような写真は確かに有りうるし、その足し算でも引き算でもなく本来の意味でのヨガの思想みたいな写真はすでにだれかが撮っているだろう。
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